大沼正七家(村田商人やましょう記念館)の分家です。大沼正七家は、享保19年(1734)年頃までさかのぼる古い商家です。紅花を商った家として、村田でも豪商に入ります。紅花のほかに、木綿・古手・塩・蝋・米・大豆・薬種・呉服・味噌・醤油・金融など様々な商品を扱いました。屋号の読みは、「ヤマショウ」です。
分家した年代は、はっきりわかりませんが、明治27年頃(1894)と推測されます。大沼正七家の呉服部門を暖簾分けし、独立させました。初代は、大沼孫十郎(明治3年~昭和26年)です。
屋号の読みは「ヤマニ」で、漢字では「家万仁」とお目出度い漢字を当てています。
反物・呉服・古着・金融を商い、初めは「大沼孫十郎呉服店」、後に「大沼呉服店」を名乗りました。一時期は養蚕も行いました。昭和26年(1952)頃まで呉服屋を営みました。
空いていた店蔵は、昭和43年(1968)から10年ほど家具屋へ貸していました。最後に住んでいた大沼としを氏のご遺族から、平成19年(2007)?に土地・建物が村田町へ寄贈されました。それを受けて、平成20年(2008)に観光施設「ヤマニ邸」となり、村田町観光案内所が置かれました。平成23年(2011)の東日本大震災で、大きな被害を受けましたが、修理されました。しかし、令和3年(2021)2月の強い地震により、再び被害を受け、現在復旧修理工事が行われています。
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